【人生編】「2023-10-14★ありがと!じっちゃん」と「合掌!@義父永眠@88歳」と私
2023.10.14 #AM 義父が
老衰のため永眠した。
2023.10.14~10.15は京都は秋祭り
ちょうど、秋祭りが始まった時間ぐらい。。
昨日から、意識があやしかったが、
本日、朝、病院から
「ちょっとやばいから、家族で来てください。」
と招集がかかり、病院へ急行。
病室では、「全然、痩せこけてもいない」
血色の良い義父が、眠っていた。
ポリグラフに表示された
心臓の鼓動を示す、波形は弱いながら、波打っていた。
意識はないが、手を握るとわずかながら反応がある
「じっちゃん・・もうちょっとかんばれやーー」
声をかけながら、
腕をさすりながら手を強く握って、見守るしかない。
1h程ったころ、波打っていたグラフが弱くなり、
ただの線になってしまった。
心臓が止まったのだ。。
義父は、タバコ吸わない。酒は結構いけた方だが
ここんとこは、やめていた。
五体満足、病気とは無縁の強靭な体で
寡黙に仕事をこなす庭師&親方として、
お客様から信頼され、お仕事を頂き、生業を立ててきた。
日本人の平均寿命は以下の通り
男性=81.05歳
女性=87.09歳
というから、88歳は、長生きしたほうではないか?
ちょうど、88歳、米寿 というタイミングだった。
心臓のグラフが、波打たなくなった瞬間
娘が涙一杯に
「おじーーちゃん。。いったらあかん!」
「おじーーちゃーーん。。帰ってきて!!」
「おじーーちゃーーん。。。おじーーちゃーーん。。。」
寡黙な職人気質の義父でしたが、
私が、商品開発で、家族をほったらかしで奮闘中
おじーちゃんは、それとなく、
子供たちの遊びにつきあってくれていたようです。
いつも、子供たちに、笑顔で、やさしく接してくれた。
やさしい、おじいちゃんだった。
心臓のグラフが波打たなくなった瞬間から
人間は、一切の生命活動を停止し、
「なきがら」と呼ばれる物体になってしまう。
後に残された家族は、
・お通夜
・葬式
・葬儀屋との段取り調整
・親戚、演者への連絡など、
を粛々と事務的な手続きを進めるしかない。
人が亡くなる場面、一番、見たくないのは
父親、母親の死である。
自分の母親は、自分が30歳前ぎりぎりで結婚した
次の年の春先に、交通事故で亡くなった。
母親は、出血多量で、車を飛ばして家に帰りついた時は
間に合わなかった。
母親の死を受け入れられない父親は、
それが原因で、体調を壊し、8年後、ガンでこの世を去った。
このときは、兄弟4名で、1カ月ぐらい、看病を続けた。
ガンにかかると、周りの家族を巻き込んで修羅場になる。
まるでTVドラマのような展開だった。
(この話には、まだ、運から見放されたような
悔やんでも悔やみきれないとんでもない裏話があるが、
それは、自分が抱えて墓場まで持っていくつもりでいる。)
長男であった、自分は、2回、両親の葬式の「段取・仕切り役」
をやらざるおえなかった。
お通夜、葬式の準備は、とにかくやることが多くて大変。
どうしても、徹夜の段取りになる。
葬式が終わって、親族、関係者が帰り、身内だけで
後片付けのさびしい状態になって、「父」「母」は、
この世から消えてなくなった。
2度と会えないという事実を改めて
目の前に突き付けられることになる。
兄弟は長男の自分を含め4人いたので、
「とーちゃん、かーちゃんはもうこの世にはいないけど
めげても仕方がない、前に進むしかないんだ。」
もう、モチベーションが落ちまくってるチームを励ます、
チームリーダ役である。兄弟を励ますのは長男の役回り。
小さいころから、「死」に対しては、あまり、恐怖感がない。。
両親がいなくなってから、さらに、何かが麻痺してしまったようだ。
親戚のおじさんが亡くなったら、夜通し、線香立てをしたり、
葬式の受付の手伝いに駆り出されたり。。
人間は、生まれる時も、亡くなるときも、色々と大変だと思った。
老衰で安らかに眠るように旅立たれた義父に合掌!
私が、家族を放り出してベンチャー仕事の立ち上げで奔走していた時期
私が子供たちに注いでやれなかった愛を
「おじーちゃん」として
子供たちをかわいがってくれてありがと!じっちゃん。。
では・・また・・:_;)/

