『思い出編』「2024-06-28@OEM開発@死ぬかと思った」と「BUGは地の果てまで追う@オソロシイ言葉」と私
自分の出向したエンタメ会社は、
大手電機メーカの新規事業開発の1つのP/Jが徐々に成果を出し、
P/Jから子会社として独立したものでございました。
毎年毎年。。売り上げが目標に届かなければ、
「即時撤退・・子会社清算」という崖っぷちで
戦っていました。
戦況が、今一つの際、リーダがとった判断は、
大手ゲームメーカ向けのOEM商品の開発。。
それも、大手さん、2社を相手にした開発です。
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OEMとは、メーカーが他企業の依頼を受けて製品を
代わりに製造すること。
今回の場合、大手ゲームメーカさんから
依頼を受け商品を開発・生産・納品し、
納品した商品は、そのメーカさんのブランド名で販売される。
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自社商品+2社へのOEM開発、、
開発テーマ3つが同時進行というありえない状況。。
どうみても、開発人員が足りません。
当時、父親が「がん」で余命いくばくかもないため
看病のため「休職」も考えており、
開発のメインラインから外してもらって
知財で特許業務を行っておりました。
父親が、他界した年の、お盆休み明け、
リーダから、呼び出しがかかり、「ある会議に出席せよ」
出席したら、OEM開発の話でございました。
また、リーダにはめられた―。。
開発コードネームPRIPPE、商品名「美的革命」
・自社のビルでは、スペースがない
・機密情報が洩れるのは、マズイ
ってなわけで、自社ビルから遠く離れた関連会社に、
専用の開発スペースを確保し、開発を実施。。
仕様を詰める際は、毎週毎週、朝一の新幹線で横浜の
OEM先拠点の研究所に向かい、最終の新幹線で帰宅
というのを繰り返し、何とか、形にできました。
モノが具体化してくると、開発資料を提出し、
先方の品質保証部担当が、レビュー。。
毎週毎週、自社内で行うレビュー会議を上回る厳しいレビュー
を受け、震えあがりました。。
テストを開始すると、自社ビルと遠方のOEM開発拠点を
行ったり来たりの繰り返し。。
商品が生産を開始すると、今度は、OEM先方様の
保守部門の方に対して
機械の扱い方、トラブルシューティング方法の説明
これまた、ばたばた。。
ゲームセンターへ納品すると、機械の不具合に対して
フィールドエンジニアとして、、速攻現場に向かい
トラブルシュート。。
気が休まる暇がありません。
OEM先の開発担当からは、
「ソフトのBUGが出たら、地の果てまで追っかけますから
そのつもりで。。」
オソロシイ一言です。
ある意味、ゲーム商品の老舗である
大手ゲームメーカさんへのOEM開発を通して、
求められる仕様や、品質の厳しさを体で教えていただきました。
あんときは、毎日、、死ぬかと思った。
<私が手掛けたOEM商品@美的革命>
ゲーム中のサウンドは、当然、プロの方のオリジナル作品
いまでも、頭の中に響くことがあります。
ゲームメーカだけあって、パーツデザインの出来も「かわいく」「最強」でした。
崖っぷちギリギリに引っかかりながら、何とか、納品をパスできた商品は、
そのあと、3年間、
・ゲームソフトウェアのバージョンアップ
・外装デザインカーテンのバージョンアップ
おつきあいさせていただくことになりました。
バージョンアップの際は、
開発>この値段でこの機能を入れてほしい。。
自分>いや、、この値段では、こんだけ盛りだくさんの機能は
工数的に間に合いません。
開発担当から品保担当に交代>
じゃ、前のバージョンで出ているこのBUGを
直してください。
そうくるか。。的な、やりとりでございます。
・開発にかかる工数
・払える金額
・できなきゃ、過去のBUGを直して!!
を天秤にかけた、せめぎあいです。
胃が痛くなりました。
ってなわけで、
・自社開発+2件のOEM開発
の3テーマ同時進行というありえないアクロバット作戦
でその年の売り上げ目標を達成し、事業撤退をなんとかしのいだ
という トンデモ話でございました。
PS>
ASCII.JPにプロジェクト管理の極意なる記事(下記)
がありましたが、エンタメ業界では、
「納期・品質は死んでも守れ」があたりまえ、
「商機(発売時期)の遅れは、万死に値する」
自社開発で自社販売でもそうでしたが、
OEM開発ではそれに輪をかけて、
遅れれば「損害賠償請求」というオソロシイおまけ付きでした。
では・・また・・:_;)/