まーにゃ@エンタメ系火事場エンジニアの日々

数々の「火だるまプロジェクト」を安請け合いし何度でも復活する 「自称・不死身のエンジニア」の物欲まみれの日々をつづる

【思い出編】畑コートとテニス本と私たち

【思い出編】畑コートとテニス本と私たち
と題しまして小話を1つ。
 私がテニスを始めたのは専門学校の2回生からでした。
そのころテニスといえば軟式庭球が主流で
硬式は、まだまだ、メジャーではありませんでした。
テニスコートも、軟式がすごい人数で、練習しており
硬式同好会の私たちは、練習場所がありませんでした。
で部長が学校、軟式の部長と調整し、コート郡の端に
あるコート一面分の空き地を同好会用に貸してもらう
手筈が取れました。
草ぼうぼうの空き地をコートにするため、全部掘り起こし
雑草を抜いて、石を掘り起こし、砂を入れ、
延々畑の開墾のような作業が続き、
2か月ほどしてようやくコートらしきものができました。
硬式テニスを知っている人間は1,2名しかおらず、
皆、本屋へ直行し、テニスの本(渡辺功とか石黒??)
の本を購入し、みようみまねで、素振り完COPY
するように練習をやってました。
ある夏の日、急に空が暗くなり、土砂降りの雨になりました。
皆飴をよけるために屋根のある場所へ避難しましたが、
1面が”あ!本忘れた!”と声を上げました。
本は、地べたにおいて素振りの練習をしていたため
雨で ほんがべちょべちょになり、後で 魚の開きのように
天日干ししなければならなくなりました。
そうこうして、凸凹ながら、なんとか皆がんばって
技を磨いていきました。
私はどうだったかって?まず、人前で緊張しまくるそんな性格
のため、全身にちからがはいってかちんこちんになって
まず、同じ位置から打ってもらったボールでもちゃんと
返せない。というありさまで。。
緊張をとりリラックスするのに2年かかりました。
硬式テニスのどろくさい小話は いかがでしたでしょうか?
硬式テニスちょっとやってみたいなぁと思われたかたは
まずはラケット選びから。
以下、のぞいてみてください。
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